優菜との再会
セリナが駅へ向かう途中、商店街の角で優菜と出くわした。
慎司が去ったあとも、優菜は変わらず町で過ごしていたようだったが、その表情にはどこか影が落ちていた。
優菜はセリナを一目見ると、すぐに察したようだった。
「……行くんですね。」
セリナは静かに頷く。
「うん。私、慎司に会ってくる。」
「会って、どうするんですか?」
優菜の声は静かだったが、その奥にある不安は隠しきれていなかった。
「セリナさんのことは、もう……完全に忘れてしまったのに。」
セリナは一瞬、胸の奥が痛むのを感じた。
けれど、迷いはなかった。
「……分からない。でも、それでも、私は彼に会いたい。」
優菜は驚いたように目を瞬いた。
そして、小さく息をついたあと、ゆっくりと口を開いた。
「それでも、行くんですね。」
「……うん。」
優菜は何かを言いかけて、ふっと笑った。
「……ずるいよ、セリナさん。」
「え?」
「私も、本当は行きたかった。でも、私が行くべきじゃないって、どこかで分かってた。」
優菜は、少し目を伏せた。
「……私、儀式をやることを知っていたのに止められなかった。」
その声は、いつもの優菜のものとは違っていた。
慎司を止められなかった後悔。
どうすることもできなかった無力感。
そのすべてが滲んでいた。
「……こうなるって分かってたのに、止められなかった。」
セリナは優菜をじっと見つめた。
「優菜のせいじゃないよ。」
「……でも……。」
「それに、私はまだ諦めてない。」
セリナはスケッチブックをぎゅっと抱きしめ、まっすぐ前を見据える。
「……それは……?」
優菜が不安げに問いかけるのを聞きながら、セリナはゆっくりとスケッチブックを開いた。
ページの上には、幼い二人の姿が描かれている。
御神木の樹液で描かれた線が、淡く光を帯びているように見えた。
「子供の頃に描いた二人の絵。これも、御神木の樹液を使っているの。」
セリナの指が、そっと絵の上をなぞる。
「……すごい。」
優菜は息をのんだ。
「でも……。」
彼女は一瞬、躊躇うように視線を落としたあと、意を決して口を開いた。
「もしこれを見せても、慎司さんの記憶が戻らなかったら……?」
セリナは静かに目を閉じた。
そして、絵を抱きしめるようにスケッチブックをそっと閉じる。
「……たとえ覚えていなくたって。」
その声は、迷いのない穏やかな響きを持っていた。
東京への旅路
電車の中、セリナは膝の上にスケッチブックを置き、その表紙をじっと見つめていた。幼い頃、無邪気に描いた絵が、今や慎司と繋がる最後の希望になるかもしれない。その思いが胸の奥で静かに響いていた。
慎司が記憶を失っても、何も感じていないはずがない。
――だからこそ、私は行く。

流れる景色の向こうに、遠ざかる町の姿を重ねながら、セリナは静かに目を閉じた。
再会と記憶の残像
慎司のマンションに到着したセリナは、インターホンに手を伸ばし、一瞬躊躇した。
指先が震える。それでも、ここで引き返すわけにはいかない。
意を決してボタンを押す。
しばらくの沈黙の後、扉がゆっくりと開いた。
「……誰?」
慎司の声。驚いたような、警戒するような目。
セリナは心臓が締めつけられるような痛みを感じたが、なんとか微笑んでみせた。
「突然ごめんなさい。でも、どうしてもこれを見てほしくて。」
慎司は戸惑いながらセリナを見つめた後、彼女の手からスケッチブックを受け取った。そして、ページをめくるたびに眉をひそめ、最後の一枚にたどり着いたとき、指先が止まった。
御神木の樹液で描かれた、幼い慎司とセリナが並んで笑う絵。
光に照らされた絵の表面が、まるで脈を打つように淡く揺らいでいた。
慎司の呼吸が少しだけ乱れる。
「……これ、俺なのか?」
かすれた声で呟く。
「そう。あなたと、私。昔の私たちがここにいるの。」
慎司は絵の中の幼い自分をじっと見つめた。
彼は無意識に、指先でそっと絵をなぞった。
その瞬間、微かな映像がフラッシュバックする。
――夏の日差しの下、駆ける足音。誰かと手をつないでいる。
頬を膨らませた少女が、絵筆を握って笑っている。
風に揺れる黒髪。
夜空の下、花火を見上げながら、すぐそばで聞こえた笑い声。

「……っ!」
慎司は突然、額を押さえた。
「どうしたの?」セリナが心配そうに覗き込む。
慎司は荒い息をつきながら、目を閉じる。
頭の中で何かがこすれ合う感覚。記憶の断片が手の届かない場所で揺れている。
「……何か、浮かびそうなのに……思い出せない……。」
悔しそうに呟く慎司に、セリナは微笑んだ。
「無理に思い出さなくてもいいよ。」
慎司は驚いたように顔を上げた。
セリナは優しくスケッチブックをなでながら、そっと言葉を紡ぐ。
「記憶がなくても、私はここにいる。慎司が覚えていなくても、私はちゃんと覚えてるから。」
慎司の目が揺れる。
静かに、スケッチブックを抱きしめるように閉じた。
想いはそこにある
慎司はスケッチブックを両手で持ち、じっと眺めた。
「これ……俺が持っててもいいか?」
セリナは小さく頷いた。
「うん。忘れても、この絵がきっとどこかであなたを守ってくれるから。」
慎司は戸惑いながらも、それを抱えるように受け取った。
「俺は……この町を守ったんだよな?」
ふと呟く慎司の声は、自分自身に問いかけるようだった。
セリナは少しだけ目を伏せ、柔らかく微笑む。
「うん、あなたは町のみんなを守った。」
慎司は空を仰いだ。
彼の心の中には、ぽっかりと空いた穴がある。
その穴の形は、何かを思い出させるようで、でも埋めることはできない。
「……俺は、大切なものを失ったのか?」
慎司の声には迷いが滲んでいた。
セリナは一歩だけ慎司に近づき、優しく答えた。
「大切なものは、なくなったりしないよ。」
「たとえ記憶がなくても、ちゃんとここに残ってる。」
セリナは慎司の胸に手を当てた。
慎司はゆっくりと目を閉じた。
胸の奥に残るかすかな温もりを感じながら、確かにそこに何かがあるような気がした。
長い沈黙のあと、慎司は小さく笑った。
「……そうか。」
慎司が部屋へと戻る姿を見送りながら、セリナは静かに夜空を見上げた。
星が瞬いている。
セリナはそっと呟いた。
「たとえ覚えていなくたって……」
想いはそこにある

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